聖日礼拝メッセージの要約(2024. 8. 25.)
「異なる生き方」
ヨハネによる福音書 11章45〜57節
このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国⺠のために、ただ国⺠のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。(ヨハネ11:51〜52)
1、人間の栄光
主イエスがラザロをよみがえらせた御業を見て、多くのユダヤ人たちは、主イエスを信じました。しかし、一方で、その中の幾人かは、パリサイ人たちのもとに走り、この出来事を告げ、ユダヤ議会が開かれました。議員たちは、主イエスは本当に救い主であるのか、主イエスの言葉は真理であるのかを話し合うことはしませんでした。それは、彼らは自分たちの権威と利益を失うことを恐れたからです。彼らの思いや動機は自己中心的であり、自分の栄光のために生き、神の栄光のためには生きてはいなかったのです。
2、神の御心
大祭司のカヤパは、「ひとりの人が人⺠に代って死んで、全国⺠が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」と言いました。彼の言葉は、自分の国を愛しての発言に聞こえますが、彼の真意は、主イエスが死ねば、すべての問題はすべて解決し、私たちの権威と利益は守れるではないか、ということです。カヤパは、自己中心的な動機で、「ひとりの人が人⺠に代って死んで」と言ったにすぎません。しかし、驚くべきことに、そのようなカヤパをも、神様は用いられ、彼の口を通して、神様の御心は語られたのです。
3、主に従う歩み
カヤパの言葉は、人々がキリストにあって一つとなるという、教会の姿を示していました。ユダヤ人たちの計画が進んでいるように見えますが、神様はすべてを支配され、神様の計画は進められ、主イエスはその計画の中を歩んでおられたのです。主イエスの生き方とは、神様の御心に忠実に従うという生き方です。私たちは、尊い御子の死といのちによって救われ、生かされているという恵みを深く覚えようではありませんか。そして、神様の平安と将来と希望のご計画の中で、私たち一人一人が生かされている恵みに感謝して、主イエスの御跡に従い、神の道をともに歩んでいきましょう。