聖日礼拝メッセージの要約(2024. 8. 18.)
「キリストの涙」
ヨハネによる福音書 11章30〜44節
「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。イエスは涙を流された。(ヨハネ11:34〜35)
1、キリストの涙
主イエスは、ラザロの墓の前まで来られて、涙を流されました。死が勝ち誇り、人々が絶望の中で悲しみ苦しんでいる光景をご覧になったのです。死への憤りと、死の力に囚われている人々への悲しみは、神の御子の涙としてあらわされました。主イエスは、涙を流されただけではありません。私たちを悲しませ、絶望にいたらせる死を滅ぼし、永遠のいのちを与えるために、私たちの罪を負って、十字架の上で死んでくださり、そして、死からよみがえってくださったのです。主イエスの涙にはご自身の十字架の愛と復活による希望が示されているのです。
2、神の栄光
主イエスは、ラザロの墓の前に立ちはだかっている石をとりのけるように、人々に命じられました。しかし、マルタは、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」と言いました。主イエスは、彼女に、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」と言われました。この石は、生きている者と死んでいる者を隔てる石です。絶望の石であり、悲しみの石であり、疑いの石です。「石を取りのけなさい」とは、よみがえりであり、いのちである主イエスを信じて、主イエスのみことばに従い、復活の信仰に生きることへの呼びかけです。そして、主イエスを信じるなら神の栄光を見るのです。
3、復活のいのち
主イエスは、大声で、「ラザロよ。出て来なさい」と叫ばれました。主イエスの御声によって、死んでいたラザロはよみがえり、墓の中から出てきました。主イエスは、この奇跡を通して、ご自身はよみがえりであり、いのちであることを明らかにされました。主イエスがご復活された朝に、天の使いたちは、婦人たちに、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」と告げました(ルカ24:5〜6)。主イエスが死から復活されたように、私たちのいのちは墓の中ではなく、復活の主とともにあります。主の十字架によって贖われ、主の復活のいのちに生かされている恵みに感謝しつつ、主を見上げてともに歩んでいきましょう。