「死んでも生きる」8月4日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 8. 4.)

「死んでも生きる」

ヨハネによる福音書 11章17〜29節

 

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ11:25〜26)

 

1、ユダヤ人の慰め

主イエスがベタニヤに到着された時、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていました。当時のユダヤ人の言い伝えでは、人は死んで四日後に霊魂は肉体を離れ、肉体の腐敗が始まり、蘇生する可能性は無くなってしまうと信じられていました。つまり、ユダヤ人たちにとって、死後に四日も経っていたという事実は、絶望を意味していたのです。大ぜいのユダヤ人は、マルタやマリヤをいたわり、慰めの言葉をかけていました。しかし、彼らは、マルタとマリヤを慰めていましたが、心の中は死という絶望が支配していたのです。

 

2、マルタの知識

主イエスは、マルタに対して、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」と言われました。マルタは、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」と、復活についての自分の知識を述べました。キリスト者の信仰とは、ただ神学的な知識を得ることを意味しているのではありません。さらに言うならば、主イエスはよみがえられたという事実を知り、その事実を信じているということだけでは不十分であるのです。キリスト者の信仰の核心とは、よみがえりであり、いのちである主イエス・キリストを信じることであるのです。

 

3、キリストにある希望

主イエスは、「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」と言われました。主イエスが与えて下さる「いのち」は、死の向こう側の未来にあるものではなく、主イエスをこの私の救い主と信じたその瞬間に与えられます。復活とは、単なる蘇生ではなく、新しい命に生きることです。永遠のいのちの本質とは、いのちの⻑さではなく、いのちの質にあります。そのいのちとは、キリストのいのちであり、私たちは、キリストのいのちの性質へと新しく造り変えられるのです。マルタは、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」と復活の信仰を告白しました。罪を贖い、死を滅ぼし、永遠のいのちを与えてくださった主イエス・キリストを信じる信仰によって歩んでいきましょう。