「信じるということ」7月28日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 7. 28.)

「信じるということ」

ヨハネによる福音書 11章11〜16節

 

そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう」。(ヨハネ11:15)

 

1、キリストに希望を

主イエスは、弟子たちに、「わたしたちの友ラザロが眠っている」と言われました。この言葉は、主イエスの前では死は眠りに過ぎないということを示しています。聖書は、「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである」と記しています(1テサロニケ4:13)。主イエス・キリストを信じる者たちは、復活の希望を持って生きている者たちであるのです。主イエスは、ラザロを甦らすことによって、死の力に勝利する復活の命を明らかにされたのです。

 

2、キリストに信仰を

主イエスの言葉を聞いて、弟子たちは、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」と言いました。彼らは、ラザロの病気はすでに治り、睡眠をとって回復中であると思い違いをしていました。主イエスは、そのような彼らに、はっきりと「ラザロは死んだのだ」と伝えました。さらに、主イエスは、「わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである」と告げました。ラザロの死を明確に告げたのは、ご自身こそが死の力に完全に勝利される方であることを彼らが信じるためであったのです。

 

3、キリストに人生を

トマスは、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」と呼びかけました。トマスは、主イエスを愛していました。主イエスといっしょに死ぬことさえ、彼は望んだのです。しかし、この時、彼はキリストの愛も、キリストにあって生きるということも全く理解していませんでした。のちに、トマスは復活された主イエスと出会います。主イエスは、彼に対して、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われました。この時に、トマスは「わが主よ、わが神よ」と告白し、本当の意味でキリストの愛を知り、キリストのために生きる人生に導かれたのです。私たちのために死なれ、私たちのために甦られた主を信じて、主のご栄光のために歩んでいきましょう。