「内なる光」7月21日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 7. 21.)

「内なる光」

ヨハネによる福音書 11章5〜10節

 

イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。(ヨハネ11:9〜10)

 

1、キリストの愛

主イエスは、マルタとマリヤ、その兄弟のラザロとを愛しておられました。それなのに、ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ場所に滞在されました。愛しておられるのに、ラザロのもとにすぐに向かわないのは、理解し難いことです。しかし、これは、主イエスこそがよみがえりであり、いのちであることを彼らがはっきりと知ることができるように、あえて到着を遅らせたのです。主イエスこそが、死の力に勝利されるいのちの主であることを、彼らが信じるためであったのです。彼らを愛しているからこそ、主イエスは同じ場所に留まられたのです。

 

2、キリストの時間

その後、主イエスはラザロのもとへ行くことを弟子たちに告げました。彼らは、主イエスがユダヤに行くことを反対しました。そこで殺害される危険があったからです。しかし、主イエスは、彼らに対して、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない」と言われました。主イエスは、神様の御心に従って、神様の時間を歩んでおられました。この神様の時間に、ラザロのもとに行かないことこそ、神様の御心に反することであり、暗闇の中を歩むことであったのです。神様の時間は早いか遅いかではなく、神様の導きと目的があるのです。

 

3、キリストの光

主イエスは、「しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」と言われています。主イエスが十字架にかかられた時、全地は暗闇に覆われました。主イエスは十字架の上で死なれ、暗闇の力が勝利したかのように見えました。しかし、その時にこそ、神様の栄光があらわされたのです。主イエスは、「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」と約束されています(ヨハネ8:12)。主イエスに従うならば、わたしたちの内にはいのちの光が輝くのです。主イエスは十字架の上で死なれましたが、死の暗闇を打ち破り、よみがえられました。新しいいのちに生きる喜びに満たされて、復活の主とともに歩んでいきましょう。