聖日礼拝メッセージの要約(2024. 7. 14.)
「神の栄光のため」
ヨハネによる福音書 11章1〜4節
イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。(ヨハネ11:4)
1、主の愛を受けて
エルサレムの近くのベタニヤという村に、マルタとマリヤの二人の姉妹とラザロという兄弟が住んでいました。彼ら三人は、主イエスによって愛され、彼らも主イエスを愛し、良き交わりを持っていました。しかし、主イエスのもとに、「ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」という知らせが届きました。キリスト者には何も問題も無く、不幸も無いということはありません。大切なことは、イエス・キリストを主として、救い主として、自分の人生と家庭に迎え入れるということです。そこから神の栄光につながる希望の光が灯されるのです。
2、いのちに向かって
主イエスは、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」と言われました。ラザロは、病気で危篤状態にあり、死ぬことになります。しかし、ラザロは死で終わるのではなく、主イエスによって死からよみがえります。ラザロの死と復活は、この後に起こる、主イエスの死と復活の真理を証しているのです。主イエスこそが、よみがえりであり、いのちであると信じる者たちは、死へと向かう者たちではなく、永遠のいのちへと向かい、永遠のいのちを生きる者たちであるのです。
3、神の栄光のために
主イエスは、「神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」と言われています。神の子が栄光を受けるとは、主イエスの十字架での死を意味しています。聖書は、「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」と記しています(1ヨハネ4:9)。神様によって、私たちは愛され、その御子イエスを通して罪の赦しと永遠のいのちを与えられ、生きることにおいても、死ぬことにおいても、神の栄光をあらわす人生に召されています。その神の豊かな恵みに感謝して、いのちの主とともに歩んでいきましょう。