聖日礼拝メッセージの要約(2024. 7. 7.)
「すべて真実なこと」
ヨハネによる福音書 10章40〜42節
多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。(ヨハネ10:41)
1、真実な証
主イエスは、エルサレムをあとにして、ヨルダン川の向こう岸にあるベタニヤに行かれました。ベタニヤは、バプテスマのヨハネが初めにバプテスマを授けていた場所です。多くの人々は、主イエスのところに来て、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」と告白しました。人々は、ヨハネの証の中に、真実のキリストの姿を見たのです。ベタニヤは荒野であり、何もないところです。しかし、ヨハネは、神様から与えられた場所として、主イエスについて真実な証をしたのです。
2、真実の心
バプテスマのヨハネは、主イエスが福音宣教をされる前に、人々の心を神様へと向け、悔い改めに導く働きをしていました。主イエスのもとに来た人々の多くは、すでに彼から悔い改めのバプテスマを受けた者たちであったと思われます。彼らの心は、主イエスを受け入れるためにすでに整えられていたのです。ベタニヤは「悩める者の家」、「貧しい者の家」という意味です。その場所で多くの人々が主イエスを信じました。神様の前で悩める貧しい者たちの心は、悔い改めへと導かれ、キリストの十字架と復活によってきよめられ、真実の心へと変えられるのです。
3、真実な主
主イエスがベタニヤに来られた時には、ヨハネはすでに処刑され、世を去っていました。聖書には、ベタニヤから遥か遠いエペソの地に、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けた者たちがいたことが記されています(使徒19:3)。彼がこの世を去った後も、主イエスに出会い、救いの恵みにあずかる者たちが起こされたのです。私たちの主イエスの証しも、自分の家族や友人だけではなく、私たちが思いもしなかった人たちにも生き続けるのです。聖書は、主イエスについて、「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」と記しています(2テモテ2:13)。真実な主を拠り所として、この方に従い、真実な証し人として歩んでいきましょう。