聖日礼拝メッセージの要約(2024. 6. 23.)
「神の御手の中に」
ヨハネによる福音書 10章22〜30節
わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。わたしと父とは一つである」。(ヨハネ10:29〜30)
1、神の恵みのゆえに
ユダヤ人たちは、主イエスに、「あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」と言いました。これまで、主イエスは、みことばと御業を通して、ご自身がキリストであることを証されてきました。しかし、彼らは、信じようとしない自分たちに問題があるとは少しも思わず、「あなたがキリストであることを納得させてみろ、そうしたら信じてやる」という傲慢な態度であったのです。信仰とは神様からの恵みであり、賜物です。主イエスの羊であるという恵みを通して、主イエスがキリストであることを信じるのです。
2、神の御業によって
主イエスは、「わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている」と言われています。その究極の御業は、主イエスの十字架の死と復活です。それによって、古い神殿のあり方が葬られ、 神様に対する礼拝がきよめられ、新しい神殿が建てられたのです。新しい神殿とは、ご自身のからだである教会です。聖書には、「私たちは主のもの、主の⺠、その牧場の羊である。感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ」とあります(詩篇100:3〜4)。私たちは、神の御霊をうちに宿す、主の羊の群れとして、まことの神を礼拝するという恵みにあずかっているのです。
3、神の御手の中に
主イエスは、「わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない」と言われています。「わたしの父がわたしに下さったもの」とは、主イエスの羊である私たちです。私たちを守ってくださる主イエスの御手は、同時に、父なる神の御手であるのです。主イエスと父なる神の御手が、私たちをいつも守り、支え、養い、導いてくださっているのです。永遠のいのちを与え、豊かな恵みを注いでくださる主の恵みに応えて、私たちの羊飼いである主イエスの御声に従いつつ、真心からの礼拝をささげていきましょう。