聖日礼拝メッセージの要約(2024. 6. 2.)
「捨てる力、受ける力」
ヨハネによる福音書 10章17〜21節
だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。(ヨハネ10:18)
1、捨てる力
主イエスは、「...ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」と言われ、すべての人々が⺠族の違いを越えて、主イエスをかしらとして一つの群れとされ、キリストのからだなる教会として歩むという祝福を明らかにされました。その後に、自分には自分の命を捨てる力があると言われています。それは、ご自身の十字架の死を意味しています。キリストのからだである教会は、主イエスが十字架の上で、ご自分の命を捨てて、その血をもって買い取り、神様のものとされた者たちの群れであるのです。
2、受ける力
主イエスは、ご自分の命を受ける力もあると言われています。それは、復活を意味しています。捨てる力と受ける力― キリストの十字架と復活によって、私たちは罪があがなわれ、よみがえりの命に生きる者たちとされています。主イエスは、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」と言われました(ヨハネ2:19)。主イエスは十字架でご自分の命を捨てられ、三日目に死よりよみがえられ、新しい神殿が建設されました。それこそが、神の御霊が宿っているキリスト者たちの集まり、キリストのからだである教会であるのです。
3、みわざとみことば
主イエスは、「これはわたしの父から授かった定めである」と言われています。すなわち、主イエスの十字架の死と復活という救いの御業は、神様の定めであり、神様のご計画であるのです。しかし、ユダヤ人たちの間には、主イエスのみことばを受けて、分裂が起こりました。彼らは、主イエスの御業とみことばを、信仰によって結びつけることができなかったのです。根本的な問題として、彼らは、主イエスを救い主として信じてはいなかったのです。主イエスの御業と主イエスのみことばを信じ、主イエスを自らのキリスト(救い主)として心の王座にお迎えすることこそ、まことの信仰であるのです。私たちは、神の御業によって生かされている恵みを覚えて、神のみことばである聖書を生活の土台として、私たちの良き羊飼いである主イエス・キリストに聞き従い、ともに歩んでいきましょう。