「わたしは良い羊飼い」5月26日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 5. 26.)

「わたしは良い羊飼い」

ヨハネによる福音書 10章11〜16節

 

わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。(ヨハネ10:14)

 

1、よい羊飼い

主イエスは、「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」と述べられました。一方で、「雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る」と語られています。羊飼いと雇い人との違いは、雇い人は自分の利益が中心であり、羊飼いは羊の命が中心であるということです。雇い人は狼などの攻撃に対して全く無力であり、羊に心をかけていないために逃げていきます。しかし、主イエスは良い羊飼いであって、羊である私たちのために、自らのいのちを犠牲にして贖いの死を遂げて、私たちに永遠のいのちを与えてくださったのです。

 

2、わたしの羊

主イエスは、「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている」と言われています。創世記の中で、ヤコブという人物が登場します。彼は、山あり、谷ありの波乱万丈の生涯を送りました。羊飼いであった彼は、人生の終わりを迎えて、子どもたちのために、神様に祝福を求めて、「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。...この子どもたちを祝福してください」と祈りました(創世記48:15)。主の羊として、良い羊飼いである主に守られ、導かれ、養われて生きることこそ、私たちにとって、まことの祝福であるのです。

 

3、一つの群れ

主イエスは、「彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」と言われています。これは、主の羊として生きる恵みは、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも与えられている神の恵みであることを示しています。ユダヤ人か異邦人かに関係なく、すべての人々が⺠族の違いを越えて、主イエスをかしらとして一つの群れとされ、キリストのからだなる教会として歩むという恵みです。すべての⺠を導いてくださるのは、良き牧者である主イエス・キリストであるのです。主イエスの目には、ご自身の羊たちが、ご自身の声に導かれ、キリストのからだとして一つとして歩む教会の姿、すなわち、今の私たちの姿がすでに見えていたのです。主の羊の群れとされている恵みに感謝し、主を見上げて、主の御声に聞き従って歩んでいきましょう。