「母の心と神の愛」5月12日

聖日礼拝(母の日)メッセージの要約(2024. 5. 12.)

「母の心と神の愛」

ルカによる福音書 2章25〜35節

 

そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。(ルカ2:35)

 

1、キリストの救い

シメオンは、聖霊の働きによって、主イエスを通してあらわされた神様の救いを見て、キリストにある平安と喜びに満たされました。救い主に出会い、この方を抱きしめて、「わたしの目が今あなたの救いを見た」と告白したのです。主イエスを救い主として信じ、罪をあがない、死に打ち勝たれたキリストに生かされることこそ、私たちの希望の根拠であり、平安と喜びの源であるのです。「反対を受けるしるし」とは、主イエスの受難を意味し、究極的には、十字架の死を示しています。このキリストの十字架こそが、マリヤも含め、すべての人を救う道であるのです。

 

2、母の心

シメオンは、マリヤに対して、「あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。―それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」と言いました。「胸」という言葉は、「いのち」とも訳することができます。つまり、「あなたのいのち」を刺し貫かれるという、非常に激しい痛みを意味しています。母親にとって、自分の子どもが十字架の上で死ぬというのは、筆舌に尽くし難い痛みです。しかし、マリヤの激しい痛みの先には、主イエスの十字架による罪の贖い、復活の希望、そして、聖霊による神の家族の交わりの恵みが備えられていたのです。

 

3、神の愛

「多くの人の心にある思い」とは、人々の心の中にある様々な思いです。それは、主イエスと向き合うことによって、すべてが明らかにされるのです。主イエスが、わたしたち一人一人にとって、何であるかが問われ、それによって、わたしたちの真相があらわにされるのです。シメオンは、「この僕を安らかに去らせてくださいます」と、主イエスを救い主と信じて、主イエスを通してあらわされた神様の救いを賛美しました。聖書は、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」と記しています(1ヨハネ4:10)。母

親の愛は偉大です。しかし、それにもまさる神様の愛が、私たち一人一人に与えられていることを覚えて、神様の救いをほめたたえつつ、歩んでいきましょう。