礼拝メッセージの要約(2024. 5. 5.)
「わたしは羊の門」
ヨハネによる福音書 10章7〜10節
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。(ヨハネ10:10)
1、主は羊の門
主イエスは、「わたしは羊の門である」と言われています。羊の群れは、暖かい季節の間、夜になると丘の中腹にある囲いの中に入れられました。それは石を積んで周りを囲っただけの簡単な作りで、門も扉もないものでした。羊には、野の獣や盗賊など多くの敵がいます。羊飼いは、その門のところに、身を横たえて、文字通り、自分が門となり、扉となって、羊の群れを守ったのです。世の力が迫ってきても、十字架と復活の御業によって、罪と死に打ち勝たれた主イエスは、羊の門として、私たちを守り、救ってくださるのです。
2、主による養い
主イエスは、「わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」と言われています。羊の群れは、朝になると、羊飼いに導かれ、門を出て、牧草にありつき、夜になると、門に入り、安らかに休むことができます。主の羊である私たちは、日々、門である主イエスを出入りして、霊的な養いと安息に満たされながら、生きる恵みにあずかるのです。主イエスを出入りするとは、主イエスを人生の基盤として生きるということです。私たちは、主イエスという門を出入りすることによって、信仰生活が整えられ、霊的に養われていくのです。
3、主は豊かな命を
主イエスは、「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」と言われています。日々、門である主イエスを出入りするというのは、日々、聖霊とみことばによってきよめられ、主から与えられたいのちがさらに豊かになっていくということです。主イエスは、良き羊飼いであり、羊の門です。私たちは、日々、良い羊飼いの御声に聞き従い、羊の門である主を出入りしながら、主から豊かな恵みを受けて、豊かないのちをもって生きるという幸いにあずかっているのです。私たちは、主イエスという門を通って、罪と死から救われるだけでなく、いのちを豊かにされ、キリストの似姿に変えられながら、神様のみもとへと歩んでいくのです。その豊かな恵みに感謝しつつ、主の羊として、主イエス・キリストという門を生活の中心として歩んでいきましょう。