「復活のよろこび」3月31日

礼拝メッセージの要約(2023. 3. 31.)

「復活のよろこび」

ルカによる福音書 24章1〜12節

 

女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。(ルカ24:5)

 

1、そのかたは

夜明け前に、女性の弟子たちは香料を持って、主イエスのお墓へと向かいました。香料は、防腐と防臭のために遺体に塗られるものです。つまり、彼女たちにとって、主イエスは十字架の上でその生涯を終えられた死者になっていたのです。主イエスが死で終わるだけのお方ならば尊敬はされても、信仰の対象にはなりません。主イエスの復活は、私たちの信仰の根幹であるのです。主イエスの復活を信じない信仰に意味はありません。主イエスは生きておられます。そこにこそ私たちの救いがあるのです。

 

2、ここにはおられない

ふたりの御使は、彼女たちに、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」と告げました。主イエスは、彼女たちに対して、十字架につけられることと三日目によみがえることをすでに予告されていました。しかし、彼女たちは、その約束を信じずに、復活の主を死人の中にたずねていました。キリスト者とは、キリストにあって古い自分に死に、キリストにあって新しいいのちに生きる人のことです。復活の主を仰ぎ見ないで、自分の悪い部分、壊れた部分、暗い部分にいつまでも囚われて生きる者たちではありません。主イエスはお墓の中にはおられないのです。

 

3、よみがえられたのだ

彼女たちは、使徒たちに一部始終を知らせましたが、彼らは信じませんでした。使徒たちも、主イエスの復活を信じてはいなかったのです。しかし、その後、復活の主は、そのような不信仰な弟子たちに現れてくださいました。彼らは、復活の主と出会い、復活の主を信じることによって、復活の主と結ばれて生きる者になりました。主イエスはよみがえられたのです。主イエスの復活というのは、私たちの復活でもあります。死を打ち破り、永遠のいのちを与えてくださったキリストを信頼して歩んでいこうではありませんか。よみがえりであり、いのちである主に結ばれ、復活のいのちに生かされている恵みに感謝して、主のご栄光のために歩んでいきましょう。