「神はわれらの父」3月3日

聖日礼拝メッセージの要約(2024. 3. 3.)

「神はわれらの父」

ヨハネによる福音書 8章37〜47節

 

神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。(ヨハネ8:47)

 

1、アブラハムのわざ

ユダヤ人たちは、主イエスの言葉を拒み、心の中では、主イエスを殺そうとしていました。主イエスは、そんな彼らに対して、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい」と言われました。彼らはアブラハムの血筋を受け継いでいることを誇り、それに胡座をかいていました。本来大切にすべきアブラハムの信仰と行いを受け継いではいなかったのです。「アブラハムのわざ」とは、血筋や伝統や功績に頼るのではなく、ただ神様を信じる信仰によって、神様のみことばに従うことであるのです。

 

2、悪魔から出た者

主イエスは、ユダヤ人たちに対して、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と言われました。人類の父祖アダムは、神様のみことばではなく、悪魔の声に聞き従いました。神様から、その罪を指摘されても、悔い改めず、責任転嫁をしました(創世記3:1〜13)。神様のみことばに聞き従わない、自己中心的な性質と生き方は、その子孫たちに引き継がれていったのです。それが原罪と呼ばれるものです。私たち人間は、この原罪の鎖につながれた罪の奴隷であるのです。

 

3、神から出た者

罪の束縛と悪魔の支配から解放され、まことの自由を得て、神様のご支配に生きるには、主イエスのことばを信じ、主イエスを救い主としてお迎えするしかありません。私たちは、主イエスを信じ、心の中にお迎えすることによって、悪魔の子孫ではなく、神様の子どもとして新しく生まれ、永遠のいのちに生きることができるのです(ヨハネ1:12〜13)。主イエスは、十字架と復活の御業によって、罪と死と悪魔に勝利をしてくださいました。御子イエスを通して、私たちは父なる神を知り、主イエスを信じる信仰によって、「父よ」と呼びかけ、神様のかけがえのない子どもとして生きる恵みが与えられているのです。神様の子どもとして、主イエスのことばにとどまり、キリストにある勝利と自由を喜びつつ、神様の愛の中をともに歩んでいきましょう。