「宿無しの救い主」12月10日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 12. 10.)

「宿無しの救い主」

ルカによる福音書 2章1〜7節

 

初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。(ルカ2:7)

 

1、皇帝の勅令

ローマ皇帝アウグストは、全世界の人口調査の勅令を下しました。それに従い、ヨセフと身重のマリヤは、ベツレヘムへと向かいました。聖書は、救い主はダビデの家系から、また、ダビデの町(ベツレヘム)で生まれると約束しています(2サムエル7:16、ミカ5:2)。当時、皇帝アウグストは、武力によって、「ローマの平和」を実現し、世界の覇権を掌握していました。しかし、神様は、その皇帝さえも、ご自身のご計画のために用いられ、御子イエスによる救いとまことの平和を実現されたのです。ここに、神様の主権と恵みがあらわされているのです。

 

2、キリストのための部屋

ヨセフと身重のマリヤは宿屋に泊まることができませんでした。宿屋には、彼らの泊まる場所がなかったからです。救い主は部屋を用意されることなく、除け者にされたのです。宿屋の主人は、その入り口に救い主が来られているのにもかかわらず、そのご降誕の喜びにあずかることはできませんでした。ここで問われることは、私たちには救い主を迎え入れる部屋はありますか、ということです。私たちの心と生活が、主イエス以外のことに関心が向けられ、主イエスのための部屋がないとすれば、私たちはクリスマスの喜びを失ってしまうことになります。

 

3、飼葉おけの中に

マリヤは、主イエスを産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせました。飼い葉桶とは、家畜小屋の中に置かれているものです。救い主には宿が無かったことは、世のすべての人々の拒絶と無関心を示しています。また、飼い葉桶は、罪に汚れた私たちの心の状態をあらわしています。罪の汚れが全くない、きよい神の御子が、飼い葉桶にお生まれになったことは、私たちの罪のただ中に来てくださったことを意味しています。主イエスは、私たちの心がたとえどんなに罪に汚れていても、私たちを拒むことなく、私たちの罪を背負い、赦し、きよめてくださるお方であるということです。私たちは、心と生活の真ん中に、主イエス・キリストをいつもお迎えしようではありませんか。私たちのために死に、よみがえり、再び来られる方を仰ぎつつ、クリスマスの喜びにともにあずかりましょう。