「神の時を生きる」11月19日

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 11. 19.)

「神の時を生きる」

ヨハネによる福音書 7章1〜9節

 

そこでイエスは彼らに言われた、「わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。(ヨハネ7:6)

 

 

1、ユダヤ人の殺意

ヨハネの七章は、仮庵の祭りが背景となっています。その祭りとは、荒野の旅において、主がイスラエルの⺠とともにいてくださったという恵みを記念するものです。御子イエスは人となって世に来られ、「神われらと共にいます」という恵みを実現してくださいました。しかし、ユダヤ人たちは、主イエスを殺そうとしていました。それは、神様の御心を悟らず、神様の御心に逆らうという態度です。仮庵の祭りの恵みが、主イエスを通してあらわされているのにもかかわらず、彼らは、信仰ではなく、殺意をもって、救い主のもとに行こうとしていたのです。

 

2、兄弟たちの不信仰

主イエスの兄弟たちは、主イエスに対して、エルサレムに上り、仮庵の祭りが祝われている公の場所で、奇跡の力を世に向かってあらわすべきだと主張しました。彼らも、ユダヤ人たちと同じように、神様の御心を悟らず、主イエスを信じてはいなかったのです。彼らの場合は、自分たちの不信仰と功名心によって、世的な栄誉と名声を得るために、主イエスにこのように主張したのです。主イエスとともに育ち、最も身近にいた彼らも、「神われらと共にいます」という恵みを知らず、世の力に従い、主イエスを惑わそうとしていたのです。

 

3、主イエスの従順

主イエスは、兄弟たちに、「わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている」と言われました。「わたしの時」とは、十字架において贖いの死を遂げる時を指しています。ユダヤ人たちは神様の御心に逆らい、兄弟たちは世の栄誉を求めていましたが、主イエスは神の栄光のために、神の御心に従い、神の時を生きていたのです。それは、父なる神とともに歩んでおられたということです。私たちも、神様を信じて歩む時に、抵抗にあったり、惑わしを受けたり、また、憎まれたりすることもあります。しかし、主イエスは、神の御心に従い、神の御心を成し遂げられ、私たちのために、神が永遠にともにいてくださるという救いと祝福の道を与えてくださいました。仮庵の祭りは、主イエスの再臨をも指し示しています(ゼカリヤ14:6)。主の再臨を待ち望みつつ、主のみことばに聞き従い、神の時を生きていきましょう。