「聖霊を限りなく」6月25日

 

聖日礼拝メッセージの要約(2023. 6. 25.)

「聖霊を限りなく」

ヨハネによる福音書 3章31〜36節

 

神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。(ヨハネ3:34)

 

1、天からの来る方

「上から来る者は、すべてのものの上にある」と記されています。このみことばは、主イエスは、すべてのものを統べ治めておられる方であり、主イエスの恵みは、私たち一人一人に降り注がれていることを示しています。私たちに問われていることは、主イエスは天から来る方であり、「すべてのものの上にある方」として信じているのかということです。この方を信じることによって、私たちは永遠のいのちと生きる力を与えられるのです。

 

2、確認の印

「神がまことであることを、たしかに認めたのである」とは、「神は真実であるということに確認の印を押したのである」ということです。マルティン・ルターは、「このみことばの意味は、神は永遠に神であるということを疑わず、さらに、神は真実であるということを深く信じることである」と述べています。聖書には、「あなたがたも...救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました」とあります(エペソ1:13)。主イエスのあかしを受け入れ、神は真実であると確認の印を押した者は、神様からも約束の聖霊をもって証印を押され、神様のものとされ、神の御国を継ぐことを保証されるのです。

 

3、いのちと怒り

主イエスは、十字架にかかられる前に、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と祈られました(マタイ26:39)。「この杯」とは、罪に対する神様の怒りとさばきを象徴しています。天から来られた方、神から遣わされた方、聖霊を限りなく与えられた方、万物をその手に授けられた方、神ご自身であり、神のことばを語るお方、すなわち、主イエス・キリストこそが、私たちの代わりに、神の怒りとさばきの杯を飲み干してくださったのです。主イエスの十字架によって罪が赦され、主イエスの復活によって永遠のいのちが与えられた恵みに感謝しつつ、神様のご栄光のために歩んでいきましょう。