「荒野で叫ぶ声」4月16日

礼拝メッセージの要約(2023. 4. 16.)

「荒野で叫ぶ声」

ヨハネによる福音書 1章19〜28節

 

彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。(ヨハネ1:23)

 

1、「ヨハネが立てたあかし」

バプテスマのヨハネは、祭司やレビ人の問いに対して、自分は「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声」だと答えました。「荒野で呼ばわる者の声」とは、悔い改めを迫る声です。まことの神に立ち返ることをうながす声です。決して耳当たりのよい言葉ではなく、心に痛みをともなう言葉です。しかし、大勢の人々が、この声を聞くために、ヨルダン川の河畔にいるヨハネのもとに押し寄せました。律法学者の教えや祭司の儀式よりも、荒野で叫ぶ声を聞くことを選び、悔い改めの洗礼を受け、キリストに会う備えをしたのです。

 

2、「主の道をまっすぐに」

「主の道をまっすぐにせよ」とは、バビロン捕囚からの解放を告げる、預言者イザヤの口を通して語られた、主なる神の言葉です。バビロンからイスラエルまでの山あり谷ありの起伏に富んだ荒れ果てた道のりは、神様とイスラエルの⺠との霊的な関係を示しています。障害物が多く、曲りくねり、見晴らしが悪いのです。つまり、神様とまっすぐにつながっていないのです。ヨハネは、自分のことを「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声」と言いました。それは、主イエス・キリストを迎え入れるための道をまっすぐにするという声であるのです。

 

3、「あなたがたの中に」

バプテスマのヨハネは、「わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」と述べています。それは、自分は主イエスの前では無に等しいものだと告白しているのです。神の御子は、人となってこの世に来てくださり、私たちの罪のために十字架で死んでくださり、私たちが新しく生きるためによみがえってくださいました。主イエスは、いつも私たちの中に立っておられます。この方によって、ヨハネだけはなく、私たちも真の意味で生きることができるのです。ヨハネは、神様のご計画の中で、自分の使命を自覚し、それに忠実に生きました。私たちも、神様のご計画の中で、それぞれに使命と役割が与えられていることを覚えて、キリストとキリストの教会に仕えていきましょう。