「はじめにことばが」3月5日

礼拝メッセージの要約(2023. 3. 5.)

「はじめにことばが」

ヨハネによる福音書 1章1〜5節

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネ1:1)

 

1、ことばであるキリスト

「初めに言があった」と記されています。この「初め」とは、根源的な原因を意味しています。それは、主イエスは、天地万物が創造されるよりもっと初めにおられたということであり、主イエスは永遠のお方であるということを示しています。

「言」というのは内側でとどまるのではなく、外側へとあらわれるものです。天地万物を創造し、それを生かし、さらには、人間となって、私たちのもとに来られ、十字架の死と復活によって、私たちを罪の中から救い出してくださいました。初めであり、終わりである方は、今日も私たちに語りかけ、私たちとともに歩み、私たちを永遠の御国へと導いてくださっているのです。

 

2、いのちであるキリスト

「この言に命があった」と記されています。これは、主イエスこそ、いのちの源であることです。この「命」とは、永遠のいのちを意味しています。この「命」とは、私たちの人生を全く新しくするいのちであり、キリストのご性質に生きるいのちです。主イエスは、私たちの罪のために、十字架で死なれ、そして、死よりよみがえり、永遠のいのちに生きる道を開いてくださいました。主イエスを救い主と信じることによって、罪の中に死んでいた私たちは、死から命に移され、神様との永遠の交わりに生きる者とされるのです。

 

3、ひかりであるキリスト

「光はやみの中に輝いている」と、現在形で描かれています。これは、主イエスは、今日という日を生きる私たちの間にも光となって輝いてくださっているということです。そして、「やみはこれに打ち勝たなかった」と、過去形で記されています。主イエスは、私たちを愛するがゆえに、十字架の上で死んでくださり、死の中からよみがえられて、罪と死に打ち勝たれました。病や死、苦しみや悩み、罪の力が迫ろうとも、主の光は、私たちの間でいつも力強く輝き、私たちはすでに主によって勝利が与えられているのです。いのちの光であり、導きの光である主イエスを仰ぎつつ、主と共に歩んでいきましょう。