「慰めの子として」11月20日

聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 11. 20.)

「慰めの子として」

使徒⾏伝 11章19〜26節

 

彼は、そこに着いて、神のめぐみを⾒てよろこび、主に対する信仰を揺るがない⼼で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。(使徒⾏伝 11:23)

 

1、神の恵みを喜ぶ⼈

バルナバは、本名をヨセフと⾔い、バルナバとは彼のあだ名で、「慰めの⼦」という意味です。周囲の⼈々から、「慰めの⼦」と呼ばれたように、彼は、⼈を慰め、励ますという賜物を与えられた⼈であったのです。バルナバは、エルサレムからアンテオケに派遣され、その地に着いて、神の恵みを⾒て喜びました。つまり、異邦⼈たちがキリストの福⾳を信じて救われたことを⾒て喜んだのです。それは、彼が神の恵みを信仰によって受け⼊れて、キリストの⼗字架による罪の赦しを真に体験し、神の恵みに⽣かされていたからです。

 

2、信仰を励ます⼈

バルナバは、主に対する信仰を揺るがない⼼で持ち続けるようにと、みんなの者を励ましました。バルナバは、信仰を励ます⼈であったのです。バルナバについて、「彼は聖霊と信仰とに満ちた⽴派な⼈であったからである」と記されています。バルナバが励まし続けることができたのは何か特技があったとか、⼈前で披露する才能があったとかではなく、聖霊と信仰に満ちていたからです。聖霊に満ちていたことと、主なる神への信頼こそが、彼の働きの源であったということを覚えましょう。

 

3、慰めと執り成しの⼈

バルナバは、慰めと執り成しの⼈でもありました。バルナバの慰めと執り成しによって、迫害者であったパウロは教会に受け⼊れられることになり、のちに伝道者として⽬覚ましい働きへと導かれることになったのです。バルナバの慰めと執り成しは、キリストの⼗字架による罪の赦しの恵みに基づいています。これは、能⼒ではなく、彼の⼈格であり、品性そのものあり、彼を通して、キリストのご性質があらわされているのです。世の中は、すぐに有能かどうかを叫びますが、⼈を慰め、励ます賜物こそが、実は最も有益であると⾔えるのではないでしょうか。神の恵みに⽣かされ、バルナバのように、「慰めの⼦」として、キリストの愛と赦しを伝えていきましょう。