「また会える」11月6日

永眠者記念礼拝メッセージの要約(2022. 11. 6.)

「また会える」

マルコによる福⾳書 5章35〜43節

 

そして⼦供の⼿を取って、「タリタ、クミ」と⾔われた。それは、「少⼥よ、さあ、 起きなさい」という意味である。(マルコ 5:41)

 

1、「ただ信じなさい」

会堂司のヤイロは、主イエスの⾜もとにひれ伏して、幼い娘がいやされるように必死に願いました。しかし、家にたどり着く前に、彼の家の者たちから、娘がなくなったことを告げられます。主イエスは、それを聞き流されました。そして、ヤイロに対して、「恐れることはない。ただ信じなさい」と⾔われ、いやしの信仰から復活の信仰を求められたのです。「信じなさい」とは、「信じ続けなさい」という意味です。私たちがここで学ぶべきことは、信仰の継続性です。⼀時的に信じるというだけではなく、ひたすら主イエスを信じ続けるということです。

 

2、「眠っているだけである」

主イエスは、「⼦供は死んだのではない。眠っているだけである」と⾔われました。主イエスを信じる者には、死は眠りに過ぎず、⽬覚めの時があることを⽰しています。⼈々は、その⾔葉を聞いて、主イエスをあざ笑いました。しかし、ヤイロ は、「恐れないで、ただ信じなさい」という、主イエスの⾔葉に堅く⽴って、⼈々のさまざまな反応に流されることなく、主イエスを信じ続けました。主イエスを信じる者たちには、死は眠りにしか過ぎず、復活の希望が与えられているのです。

 

3、「さあ、起きなさい」

主イエスは、⼦供の⼿をとって、「タリタ、クミ(少⼥よ、さあ、起きなさい)」 と⾔われました。すると、少⼥はすぐに起き上がって、歩き出しました。主イエスは、ご⾃⾝こそが、死の⼒に打ち勝たれるお⽅であることを明らかにされました。 私たちの⾁体はやがて死を迎えますが、主イエスを信じる者たちにとっては、それは眠りにしか過ぎません。私たちが神のいのちに⽣きるために、⼗字架にかかり、死んでよみがえり、今も⽣きておられる⽅が、私たちのうちに住まれ、私たちとともにいて下さるのです。そして、主イエスが再び来られる時には、私たちは、復活の主と同じ朽ちることのない栄光のからだへと変えられるのです。「ただ信じなさい」と⾔われる主イエスを信じて、信仰の旅路を歩んでいきましょう。