礼拝メッセージの要約(2022. 7. 31.)
「⼗分な恵み」
2コリント⼈への⼿紙 12章1〜10節
ところが、主が⾔われた、「わたしの恵みはあなたに対して⼗分である。わたしの⼒は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの⼒がわたしに宿るように、むしろ、喜んで⾃分の弱さを誇ろう。(2コリント12:9)
1、にせ使徒たち
コリント教会では、にせ使徒たちが教会に紛れ込み、キリスト者たちを惑わせていました。彼らは、⾃分たちの霊的な体験を吹聴し、パウロが使徒であることを否定していたのです。こうした状況を受けて、パウロは、不本意でしたが、⾃らの霊的な体験を記しています。それは、第三の天まで引き上げられたという素晴らしい体験です。それについて、パウロは、「神がご存知である」と強調し、神様に栄光を帰し、にせ使徒たちのように、⾃分の栄光を求めることはしませんでした。
2、⼀つのとげ
霊的な体験を述べたあと、パウロは、「そこで、⾼慢にならないように、わたしの⾁体に⼀つのとげが与えられた」と記しています(12:7)。この⾁体のとげは、パウロにとって苦痛ではありましたが、⼀⽅で、彼を神様の前に謙虚にさせるものでもありました。パウロは、このとげが取り去られるようにと祈る中で、神様の御⼼を知り、神様の御⼼に従うことを⽰されていったのです。誰でも「⼀つのとげ」というものを抱えて⽣きていますが、パウロはこれによって、⾼ぶらず、謙遜になり、神様の御⼼に従う信仰へと導かれたことを覚えましょう。
3、⼗分な恵み
主なる神は、パウロの祈りに対して、「わたしの恵みはあなたに対して⼗分である。わたしの⼒は弱いところに完全にあらわれる」とお答えになりました。主の答えは、パウロから苦しみを取り去るのではなく、その苦しみの中に主ご⾃⾝が働かれるということでした。「⼀つのとげ」は取り去られることなく、苦しみと痛みはそのまま続いていきます。しかし、その苦しみと痛みの中に主の恵みは注がれ、その弱さの中に主の⼒は完全にあらわれるという約束を受けたのです。私たちは弱さの中に注がれ、働かれるキリストの恵みと⼒を覚えて、「わたしが弱い時にこそ、 わたしは強い」という真理を胸に歩んでいきましょう。