「神の息吹」6月5日

礼拝メッセージの要約(2022. 6. 5.)

「神の息吹」

エゼキエル 37章1〜14節

 

時に彼はわたしに⾔われた、「⼈の⼦よ、息に預⾔せよ、息に預⾔して⾔え。主なる神はこう⾔われる、息よ、四⽅から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き 、彼らを⽣かせ」。そこでわたしが命じられたように預⾔すると、息はこれにはいった。すると彼らは⽣き、その⾜で⽴ち、はなはだ⼤いなる群衆となった。(エゼ キエル 37:9〜10)

 

1、⼈間のいのち

預⾔者エゼキエルの眼前には、無数の枯れた⾻が広がっていました。これは、主が⾒せられた幻であり、当時のイスラエルの無残な姿を象徴するものでした。主なる神は、「⾒よ、わたしはあなたがたのうちに息を⼊れて、あなたがたを⽣かす」 と⾔われました(9節)。これは、神の息である聖霊が、その中に吹き込まれなければ、⼈は真に⽣きる者には成り得ないということを⽰しています。

 

2、神の息吹

「そこでわたしが命じられたように預⾔すると、息はこれにはいった。すると彼らは⽣き、その⾜で⽴ち、はなはだ⼤いなる群衆となった」とあります(10 節)。復活されたイエスは、弟⼦たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けよ」と仰せになりました(ヨハネ20:22)。この時、弟⼦たちは、⽣きる望みを失い、枯れ た⾻のような存在に成り果てた者たちでした。しかし、復活の主と出会い、神の息吹である聖霊を受けることによって、彼らは、⽣きる⼒と希望に満たされ、絶望の淵から⽴ち上がることができたのです。

 

3、御霊によって

枯れた⾻がよみがえるという幻が、本当の意味で実現したのが、ペンテコステです。この⽇に、主イエスの弟⼦たちに聖霊が降り、キリストのみからだである教会が誕⽣しました。彼らは聖霊に満たされ、迫害や死をも恐れず、キリストの福⾳を 宣べ伝える者へと変えられました。死に打ち勝つ神の⼒強い息吹は、きょうという ⽇を⽣きる私たちの中にも注ぎ込まれています。ペンテコステを迎え、私たちは、 キリストのみからだである教会に召されている恵みに感謝し、聖霊に導かれて、福⾳宣教の使命をともに果たしていきましょう。