礼拝メッセージの要約(2022. 5. 29.)
「主を喜ぶことは」
ネヘミヤ記 8章1〜12節
そして彼らに⾔った、「あなたがたは去って、肥えたものを⾷べ、⽢いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この⽇はわれわれの主の聖なる⽇です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの⼒です」。(ネヘミヤ 8:10)
1、⺠の悲しみ
祭司であり、学者であるエズラは、帰還した⺠に向かって律法を朗読しました。 彼らは、主のみことばを聞き、その意味をさとった時に、みな声を上げて嘆き悲しみました。それは、彼らの祖先たちが、また、⾃分たちが神様の御⼼からどれほど 離れて⽣きていたかを知ったからです。みことばの意味を理解し、みことばによって⼼が刺された時に、彼らは神様の前に嘆き悲しみ、罪を悔い改めたのです。
2、主を喜ぶ
エズラたちは、彼らに対して、「主を喜ぶことはあなたがたの⼒です」と⾔いま した。聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事につい て、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」とあります(1テサロニケ5:16〜18)。ここで語られ ることは、喜びと祈りと感謝の源を持つということです。それは、昨⽇も、今⽇も 、いつまでも変わることのない、主イエス・キリストを信じ、この⽅を喜びとすることです。この⽅を喜ぶことこそ、私たちの⽣きる⼒であるのです。
3、新たな出発
エズラたちは、「その備えのないものには分けてやりなさい」と⾔いました。何 も⽤意できなかった者にも、ごちそうを贈り、⺠はみな飲み⾷いし、また分け与えて、⼤いに喜んだのです。主を喜ぶことは⾃分だけの喜びではなく、ともに分かち合って、ともに喜ぶことであるのです。彼らの深い悲しみは⼤きな喜びへと変わりました。⾃分たちを赦し、新たな出発をさせてくださる主をともに喜んだのです。 主イエス・キリストをともに喜ぶ、これこそ、キリストのからだである教会の姿をあらわしています。今を⽣きる私たちも、主を喜ぶことを⼒として、キリストのからだである教会をともに建て上げていきましょう。