聖⽇礼拝メッセージの要約(2022. 1. 16)
「キリストの友」
ヨハネによる福⾳書 15章12〜17節
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。⼈がその友のために⾃分の命を捨てること、これよりも⼤きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを⾏うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ 15:12〜14)
1、キリストのいましめ
主イエスは、弟⼦たちに対して、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」と⾔われています(15:12)。レビ記19章18節には、「あなたの隣⼈をあなた⾃⾝のように愛しなさい」とありますが、「あなた⾃⾝」ではなく、主イエスが基準であるということです。もはや⼈間の愛ではなく、神様の愛をもって、互いに愛し合いなさいと⾔われているのです。神様の愛とは、キリストの⼗字架の愛です。主イエスにしっかりとつながり、主イエスと⼀つとなって、神様の愛に⽣きるということです。
2、キリストの友
主イエスは、弟⼦たちに対して、「わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの⽗から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。」と⾔われました(ヨ ハネ15:15)。神の御⼦によって、⽗なる神の御⼼が告げられ、その御⼼に従うように召された者は、しもべではなく、「わたしの友」だと、主イエスは⾔われ ているのです。そして、神様の救いのご計画は、友のためにいのちを捨てるという⼤きな愛、つまり、キリストの⼗字架の愛によって成し遂げられたのです。私たちは、この⼗字架の愛に招かれ、この⼗字架の愛に⽣かされ、この⼗字架の愛を伝える宣教の働きに召されているのです。
3、キリストによる選び
主イエスは、「それは、あなたがたが⾏って実をむすび、その実がいつまでも残 るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって⽗に求めるものはなんでも 、⽗が与えて下さるためである」と⾔われています(ヨハネ15:16)。主イエスから受けた愛を、他者へと向けていくときに、新たな実が結ばれていくのです。 つまり、新たな⼈たちが、私たちを通して、主イエスの愛に触れて、主イエスにつながる枝となり、実を結んでいくということです。それは、私たちの⼒ではなく、 キリストの御名によって祈り、神様から愛をいただくことによって、成し遂げられていくのです。私たちは、主の枝として⽣かされている恵みを覚えて、主イエスに寄り頼み、キリストの愛を伝える器として歩んでいきましょう。