「主の道を備えよ」11月21日

聖⽇礼拝メッセージの要約(2021. 11. 21)

「主の道を備えよ」

マルコによる福⾳書 1章1〜8節

 

荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、 その道筋をまっすぐにせよ』 」と書いてあるように、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。(マルコ 1:3〜4)

 

1、福⾳のはじめ

マルコによる福⾳書の冒頭には、「神の⼦イエス・キリストの福⾳のはじめ」とあります。これは、新しい時代の始まりを告げることばであり、旧約聖書の中で預⾔されていた救い主の到来が成就し、神の救いが実現することを⾼らかに宣⾔することばです。この福⾳によって、私たちの⼈⽣の始まりがあり、今⽇があり、永遠に神様とともに⽣きるという祝福があるのです。アドベントを迎えようする今、私たちは、「神の⼦イエス・キリストの福⾳」とは何かを確認し、信仰の原点に⽴ち返ることを覚えましょう。

 

2、主の道を備える

「荒野で呼ばわる者の声」とは、バプテスマのヨハネを通して語られた神様の御 声です。それは、悔い改めへの招きの声です。ヨハネは、ユダヤ⼈たちに対して、 悔い改めて、罪の赦しを受けなければ、救われないと語りました。神様の御前において皆が罪⼈であり、悔い改めて、罪の赦しを受けなくてはならない、そのメッセ ージこそが「主の道を備える」というヨハネの使命であったのです。悔い改めとは、⼼と⽣き⽅の⽅向転換を意味します。⾔い換えるならば、主イエスを、私たちの⼼と⽣活の中⼼へと迎え⼊れる道をまっすぐに整えるということです。

 

3、あとから来られる⽅

ヨハネのバプテスマは悔い改めのバプテスマです。しかし、主イエスが授けて下 さる聖霊のバプテスマです。聖霊のバプテスマは、私たちを主イエスの⼗字架の死と復活によって実現した神様の救いの恵みの中で、私たちの古い⾃分を砕き、私たちをキリストの内住に⽣きる者とします。私たちは、主イエスによって、死んでいたのに⽣き返り、いなくなっていたのに⾒つかった者たちです。聖書には、「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」とあります。私たちの⼼と⽣き⽅を神様 に向けて、私たちの救い主であり、約束の王である、主イエス・キリストをお迎えしましょう。