「復活の希望に生きる」11月7日

永眠者記念礼拝メッセージの要約(2021. 11. 7)

「復活の希望に⽣きる」

ヨハネによる福⾳書 20章11〜18節

 

イエスは彼⼥に「マリヤよ」と⾔われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と⾔った。それは、先⽣という意味である。(ヨハネ 20 :16)

 

1、マリヤの悲しみ

マグダラのマリヤは深い悲しみの中にいました。それは、主イエスの墓の中が空っぽであったからです。マリヤが涙を流しているところに、復活された主イエスが、彼⼥に対して「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」とお尋ねになりました。マリヤが捜していたものは、主イエスの遺体でした。彼⼥は、⽣きておられる⽅を、死⼈の中に捜していたのです。彼⼥の悲しみの原因は、ここにあったのです。

 

2、復活の主の御声

実のところ、⽣きているのは主イエスであり、マリヤは死という現実を前にして、彼⼥の命は死んでいたのです。「マリヤ」と、主イエスに⾃分の名前を呼ばれた時に、それは彼⼥の⼼に深く響きました。この時にはじめて、マリヤは、今、⾃分の⽬の前に⽴たれているお⽅が、復活された主イエスであることが分かりまし た。悲しみと絶望の中にいたマリヤは、復活の主イエスとの出会いによって、新しいいのちに⽣きる者へと変えられました。私たちもまたマリヤを呼ばれた同じ復活の主の御声によって呼ばれているのです。

 

3、復活の希望に⽣きる

マリヤは、主イエスが⾃分の名をお呼びになるのを聞いて、キリストの復活のいのちに⽣きる喜びと希望に満たされました。マリヤは、主イエスに「ラボニ(すなわち、先⽣)」と呼びかけました。主イエスは、マリヤに、「わたしの兄弟たちの所に」⾏くようにと⾔われました。「マリヤ」、「ラボニ」と呼び合う親しい愛の交わりは、私たち⼀⼈⼀⼈に与えられています。主イエスは、私たち⼀⼈⼀⼈の名前を呼んでくださり、私たちは主イエスにあって兄弟姉妹であり、神の家族であるのです。主イエスの愛に満ちた呼びかけに、私たちも信仰をもって応答し、復活の主とのいのちの交わりの中をともに歩んでいきましょう。