礼拝メッセージ

2024年12月1日(日)

説教者:大嶋 愛三 牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書 1章9~13節

「あなたを照らす光」


第一アドベント礼拝メッセージの要約(2024. 12. 1.)

「あなたを照らす光」

ヨハネによる福音書 1章9〜13節

 

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。(ヨハネ1:13)

 

1、まことの光

主イエス・キリストは、すべての人を分け隔てなく照らすまことの光です。聖書は、「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている」と記しています(エペソ5:8)。「やみ」とは罪の暗闇を示しています。人間の古い性質はやみを愛し、悪い行いは暗闇の中で隠れて行われます。聖書は、「光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となるのである」と記しています(エペソ5:13)。主イエスだけが、私たちの中から暗闇を追い出し、永遠のいのちを得させ、罪の中から救ってくださるのです。

 

2、その名を信じた人々

主イエスは、ユダヤ人としてお生まれになりましたが、その人々は救い主として信じて、迎え入れようとはしませんでした。神の御子キリストである、主イエスであっても、信じない人を救うことはできません。「その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」と記されています(1:10)。「その名を信じる」とは、主イエスをこの私の救い主と信頼し、自分自身を明け渡すことです。主イエスに全幅の信頼を寄せる者には、神様の子どもとしての新しいいのちが与えられ、父なる神との愛の交わりに入れられるのです。

 

3、ただ神によって

私たちの社会では、血筋や名声、地位や財力、権力によって、受け入れられたり、無視されたりします。神様は、私たちをそのようには扱われません。私たちが神様の子どもとされたのは、私たちの血筋によるものでも、努力によるものでも、私たちの意志によるものでもありません。ただ神様の一方的な恵みによって、私たちは救われ、私たちは赦され、神様の子どもとして受け入れられたのです。神様の一方的な恵みは、主イエス・キリストの十字架と復活によってあらわされました。主イエスを心の王座にお迎えし、神様の子どもとされた恵みに感謝と喜びをささげつつ、まことの光である主とともに歩んでいきましょう。